2022年7月19日火曜日

青崩峠2022夏 ④ R152中間地点~秋葉街道(庚申沢山体崩壊地まで)

本日最大の難関、秋葉街道の未調査悪路を抜けてR152で休憩中。
なんというか未調査悪路は未調査なのは確かだけど悪路というか無路というかルートと言えるものではなかった
前回途中で話したけれど住居跡、木地屋跡と判明している部分を歩けそうな筋で無理矢理繋げており、
下手をすれば今流れている沢あたりがかつての街道だったのでは…?という勢いの歩きでした
そしてこれからは同じく前述の通りまだ北に気になるものがあるため、再び秋葉街道に入っていきます。

秋葉街道中間地点(庚申沢山体崩壊地まで)

はい結局去年の直登と同じ手でR152に戻りました。そして選択としては正解でした
この北も工事で面白いことになっていた秋葉街道ですが、
こちらも砂防や伐採のために人の手が入っており面白いことになっていました。
貴方達トンネルを掘っているはずでは…?砂防ダム関連で面白いことをされ過ぎである。

 

 

R152から再度秋葉街道へ、まずは前回の道を戻って未調査悪路分岐。
そういえばこのあたりの秋葉街道というと、大体松の木ですね


なんて書いてあったんだろうコレ…2019のときも真っ白でした


未調査でもなんでもない秋葉街道なので杉の葉は多いものの道としてしっかり見えます
そうそう、街道ってこういうものだよ。


多分青崩峠古道の看板は増えました。この左の看板は相変わらず…ですが、赤字の警告が流されています


2019のもの。
未調査悪路について「通行は可能、悪路につき自己の責任」とありました
当時ブーツの靴底が剥がれたまま歩いていたため、この警告で素直にR152に戻ったわけです
まあ今回歩いて思ったのは確かに書いてある通り…だけど、なんだかんだ地面は柔らかいので行けたかも。
地面が柔らかいのは青崩峠共通ですが。砕石ばかりなので石のゴツゴツなんかほぼないよ



その先を歩くと木の人工物、ああ見覚えが…?…こんなに明るかったっけ…

・根木三十三観音

 沢山の観音様です。
青崩峠にもここほどではないけどたくさん置かれていたのでそういう風習かな?
看板が見づらく感じますが2019はそもそも完全に字が消えており実は書き直された模様
ちなみに本来の場所は西側の広場だそうですが土石流で流されてしまったそうです



古くからありそうな道祖神の石といい案内板には明治3年の集められたばかりの写真といい、
書いてある通りに歴史があるのと当時は人通りも多く祭りの際には賑わっていたようです。
そして更に昔はそもそも今のようには集められておらず、
青崩峠までの道沿いにバラバラに建てられていたという…管理しやすくするための集積かねえ


さて奥はいい加減違和感が半端ない小嵐川の開けっぷり。
北上する度どんどん明るくなってきますが2019はずっと暗かったはずだぞ!


案の定切り開かれていました。奥には小屋?なにかテントらしきものが見えます
BBQやってるわけでもないだろうしアレは何だろか…


恐らくこの対岸から撮ったであろう2019の図。
杉だらけで鬱蒼としていたのがずいぶん雰囲気変わったよね。




ちなみに対岸は昔からの崩壊地。
新たな対岸がよく見えるビュースポットです…が?


なんかいる。鹿だ!警戒でケンケン鳴かれたからどこかにいるとは思っていたが
あんな急斜面でも余裕で渡れるのな、さすがだぜ。

奥のテントっぽいものも覗いてみます。
目立つ青いテントにあるのは…今のところ何かの機械であることくらいしか分かりません
あと、対岸に砂防ネットらしきものが見えます。



秋葉街道としては紐を辿ろうとするとルートが2本に分かれていました。
というか青い紐は急に出てきたけどなんだろう。
ただ、上回りは道筋がなさそうですので降りてみます


・木の橋


あのご立派な橋の方へです。
完全に風景が変わりすぎて初見同然のためルート全く把握できていないのですが、
元のルートもあちらだったようです
ちなみに渡っている沢は根木沢です


当たり前に沢渡りをさせられた未調査悪路とは当然違い、しっかりと木の橋を掛けてくれています
雪の日でもなんとか歩けそう。こういうのは素直にありがたいです


ちょうど比較できる地点がありました。
上が2022、下が2019です。以前から青い紐のルートは無関係の形で存在していたのな
2019の手前側看板は大分離れにありますので、
橋のルートとしては2019左下端辺りから岩の上を渡すように橋がかかるはずです
ちなみに2019の際は山側に回避して丸太が2本あるだけの橋を使って渡りました。

ちなみに橋から小嵐川の上流方面を見たら転回場っぽい雰囲気の場所がありました
この辺りで小嵐第3砂防堰提とやらを作るんですかね。


歩行再開。切り開かれた跡は斜めに通っています
当時は「なんで?」と思っていましたが今思い返すとあの先のR152は倒木が電線に引っかかっていた辺り。
あの倒木に手を付けるためのアクセスのために下から切り開いているのだろうとは思います
切り開いた方向が斜めなのはこっち側は急斜面すぎて回避したのかな?


この道と大岩は昔からありそうだし実際2019にもありました
北側の判ノ木島でも残してくれていたので引き続きですが、
こちらもきちんと旧ルートが残っているようで安心。


そして奥に進むと見たかった建物が見えてきます…よかったまだありそうだ


・松原住居跡

この辺りは雰囲気ほぼそのまま。2件ある住居跡のうちの1軒です
R152から見えるはずだったんですが2021は見渡し場所が電線に掛かった倒木でして、
完全にそちらに気を取られて見落としたのだと思います。


山側をふと見たら墓石らしき碑がありました。


建物は多少の劣化はありますがまだ大丈夫そうです。右が2019
とはいえ見比べたら軒の傾きが目立つのと扉が2つ倒れていましたので安心はできない感じ
なるべく訪れたいところだね。



外は相変わらず以前のままです
ガスボンベの左にはかまど跡。鍋かヤカンかに石油缶っぽいものまで置かれっぱなしです


中は古い和風住居というか梁が折れているのはちょっと危ないな
まあ人の家の中に入る趣味はないのでどちらにせよここまでです。



周囲を散策しながら歩きます。道筋としてはまっすぐですが歩行ルートがグネグネしている原因
松原住居跡のこの区間で残っている建物はこの一つだけですが、
どう見ても他に何軒かあったであろう石積みなどの跡が見受けられます。



あの奥に見えるのが2軒めですね。
北東にあって1軒目からも道からも少し離れた所にあります


古道沿いに歩くとど真ん中に三角の構造物が。
と思ったら三角点か何かを保護していました。むしろ古道のど真ん中に刺すんじゃないよと
奥の二個目は道筋から外れています


後ろを見ると1件目と古道のしっかりした跡が。




三角点の辺りから右(東)を見ると住居跡の二軒目です。…ちょっと傾いたかな?



付近にあったこれは井戸でいいのかな。


正面からの比較画像を持っていませんがちょっと心配になる傾き方ですね。
前回崩壊していた判ノ木茶屋跡と似た構造なので真ん中辺りからポッキリ逝ってしまいそうで


思い切り補正したら中はこんな感じ。iPhoneSE2でできる限界がコレくらい。


こちらは下り坂に建物を延伸しているようで、倉庫用に半地下階とかあるかもしれない。


そして松原住居跡の看板は相変わらず割れて放置されたままでした。
こちら側に看板跡があるので実は松原住居跡といえばこちらのようです
自分が印象に残っている住居跡は最初の方過ぎてどうにも認識のズレが…

 

住居跡というか集落跡というか、2軒の住居跡を見終わったら見慣れない秋葉道の看板が。
小嵐川砂防工事安全協議会とのことで、トンネル工事とは別チームっぽいです
が、どう見たって青崩峠道路と連携して動いてるよね貴方達?という感じの印象です。


最後に松原の一帯を眺めまして先に進みます。
名前のとおり一面松の木が生い茂っていて一味違う景色でした



・砂防ネットと運搬ケーブル


松原を抜けますと小嵐川が再び開けて見えるようになります。
今度はR152の保全は関係なく、小嵐川対岸の砂防のためのようです
砂防ネットが二重、滑車で運べそうな物が中間地点にぶら下がっている…
完全にこの辺りで砂防工事本格的にやる気だね!


秋葉道としてのルート案内は相変わらず安全協議会の方。
ルートは2019からそのままだと思います


そして下を見下ろすと青いテントと思っていた正体は…ウインチ?
このワイヤーを張っている大型のウインチだと思います。超仕事してる。BBQしてるとか疑ってすまんよ


角度の違うワイヤーの光景。ここに砂防ダムを建てるのかな?
とすると奥の転回場になっている辺りも辻褄が合うしここ谷筋だしで、丁度良さそう。


向こう側のワイヤーは見えませんでしたがこちら側のワイヤーの端は確認することが出来ました
真ん中の支持もすごいけどあちこちにワイヤー張り巡らせているのは危ねえけど見た目がとても面白い


さて見るもの見たし秋葉街道を再び歩き始めます。
ここから先は大きく東に曲がってからの崩壊した松原橋が2019はこんな感じで壊れていて…というイメージで歩いていきます



・新松原橋

あれえ新しくなってるう…
先程の根木沢ほどではないですが、しっかりとした橋です
まあ元の状況は橋が崩壊した末の沢渡りでしたので、やはり大変ありがたくはあります


そして旧松原橋はそのままにされていました。
いや壊れた橋は撤去してもいいんでない?とは思うけどまあ。奥の白いのは看板かな


渡って確認したら看板でした。
そして新旧松原橋揃い撮り、皆がちょうど沢渡りしているところに架かっていて丁度よいです


ちなみに改めて2021年の時を見直したら松原橋まで入っており比較ができました
が、新しい橋は架かっていませんでした。看板はこの時点で倒れていたようです
春くらいに橋をかけてくれたのかな




・判ノ木茶屋跡(潰れたまま)


そして松原橋を過ぎるとすぐに倒壊した判ノ木茶屋跡が…なんかはみ出てない?
と思いましたが、2021もこんな感じでした。変わらず派手に壊れているということかあ



看板は残っています。茶屋は今に遺ってはいないです
ちなみに「旧田口家」経由して岡崎市へとありますが、旧田口家のある足助だと中馬街道(R153)になります
阿蔵で山越えになるけど鳳来寺道経由(R420-R257-R151)で往来があったのかな…それか振草のR473?
割と繋がりが謎です。


そんなわけで2021年に派手につぶれた茶屋跡、そのままです。
2019時点でも柱が細くてよう立ってるなあという感じだったんですが縦にそのまま潰れた感じです


過去の姿。
2019が最後とは侘しいやら見ておいてよかったやらという感じです


脇には小さな茶碗と飯盒がありました。
この辺り色々と小物が落ちているんだよね、挙げ始めるとそれこそ色々見つかるくらいに



最後に北へ抜けてから振り返っての遠景を比較しながら判ノ木茶屋跡はおしまいとします。
ここも何件か家があったんだろうなあという感じに石積み多かったね。
ひとまず、これでひと通り見たいだけの建物は見切りました。
更に北の梅ノ木島の建物は流石に変わりないだろうし大丈夫でしょう、
そろそろ帰りを考えながら散策を始めます。


さて、これにて判ノ木の集落も逆走しきったので入り口
ここも相変わらず松多いよねえ。秋葉街道特有かな
ちなみにこの看板から西を見たら謎の鉄箱がありました。筍でも茹でるのかいな


なお看板下の案内板は真っ白ですが補正かけて確認してみると、
【梅ノ木島←謎の舌ベロマーク→松原→根木→
(信州方面)       (遠州方面)
              木地屋墓跡→青崩峠】
という表記でした。
舌ベロマークが気になりますが梅ノ木島と松原の間というと丁度目の前の崩壊地であり、
山の悪戯的な意味で書いたのでしょうか。
まあ深くは突っ込まないでもう少しだけ進みます



この先すぐに秋葉街道の道筋は途絶えます。
というのも崩壊地とは別で更に昔にここで結構な地すべりがあったようでして、
木が全部流されて下草しか生えていないような一帯になっています


そしてその上にあるのが2021年ついにR152のこの区間を通行不可能にした大崩地帯です
まあ後で見に行くのでここではサラっと流して一旦下の様子だけ見てみましょう


さてこの下の秋葉街道は工事用通路と並走していまして砂防ダムが切り開かれて…ってあれ?
舗装されているじゃんか!…というか奥の様子おかしくない?


さすがに気になったので近くまで行ってみます。すると看板が新たに立っていました
「工事用の道路を迂回する区間があります」…これはつまり?


秋葉街道が水がめになっとる…


左が2021年の図です。右は2019で、この一帯は川でした
川で渡れなくなったルートの水を抜いてくれていると思ったらむしろ掘り下げとるやんか!
まあ元々ルート消失していたし?って言われるとその通りだけれども、
ここはさっきの看板冒頭の「災害で分断されており、」の分断ではなく
普通に工事で通行不可にしている形なのでなんか釈然としない、が、まあ通れるならいいか。
「看板に従い気をつけて通行ください」というお題目を手に入れたことだし…



ちなみにこの右(東)には古い砂防ダムが埋まっています。


そして今の秋葉街道のルート取りを確認したら一旦後ろ(南)へ階段を降りる形になっていました。
前までは青い土砂をロープ頼りに登っていたので大きな進化です
で、そこから少し工事用道路を北へ歩いて秋葉街道へ復帰する、と。


南を向いて。いやあ完全にトラックを通す気満々で道を引いています
というかこれ、今のR152より圧倒的に環境が良いって指摘するとだめなやつですか?
でもこの道どうせ奥の砂防ダムで行き止まるんだよね。もったいない


さて。秋葉街道で見たかったものは本当に全て見終わりました
思ったより変化が大量で収穫が溢れている感じです。
切り開かれて橋架け直されて舗装までされているとは思うめえよ
あとはR152へ向かうだけですので判ノ木方面へ戻ります(南下)。


先程話しましたが、ここは過去に崩れたようで割となだらか目の斜面に大きな草も生えていない状況です
そんなわけで2021に自転車抱えての直登に成功していますので、手ぶらの今回は余裕のはず
というわけで、今回もここを直登して崩壊地の南へ向かいます。


余裕といってもさすがにまっすぐは登れないかなあ。
斜度17~8%のはずなんだけど直線で登ろうとすると足の確保がムズい


半分くらい登った図。良い眺めです


砂防ダムの奥が見え、梅ノ木島の住居跡も少しだけ確認できました。あの青い屋根はゴルフバッグが入っていたやつです
というわけで、意図せずしてここ一帯の全部の建物の状況を大体確認できてしまいました。
てか、あんななだらかなルート取りであの住居跡に辿り着けるのな…


引き続きジグザグに登って現在の観測装置かな?と思わしき仮設の建物を過ぎるとだいぶ高低差が出来てきまして。


この辺りから真東に動いて涸れ沢見たくなっている部分の西端を沿って登ります。
上の方は若干薮が濃くなり始めるので、この登り方が妥当だと思っています。



・庚申沢山体崩壊地



さすがに多少疲れはしますがさっくり目に登ってこれました。
この先(北)にあるのが以前から警告されていた崩壊地です…が、何かテープ貼ってあるぞ?


Oh,完全に進入禁止にされていますね!
まあ山はまだ動いていると言うし、中央構造線直上のここではそんな事象は不自然ではないし。
人の侵入すら防ぐのもやむなしといった感じですが、かなり強化されましたね


かつては砂防ダムが上にあったのですが今やコンクリと針金位しか跡がありません。
そして向こう側でも同様に立入禁止にしている。うん、一見普通に渡っちゃえそうだもんね
まあ以前なかった水が出っぱなし=地下水漏れてる説あるので本当に危ない地帯なんですが。



というわけで秋葉街道を歩いてR152の分断点・南側へ直登してきました。
調査済みの悪路ではない秋葉街道はまったり歩くだけなんだろうなと予想していましたが、
そんなことはまったくなくかなり変化に富んでいました。変な意味で毎年通って楽しめそう
でも掻い摘みルートとしてはR152端点~R152~直登ルート逆走して秋葉街道~松原住居跡を見たら北上が無難かな
ということを思いながら、あとは帰りをR152で青崩峠まで戻ることにします。


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