長崎2日目、午前は端島(軍艦島)ツアーに行っていました。
実は波が荒れやすく自分は船酔いしやすい為危ないところでしたが奇跡的に平和な晴れ、
かなり良いシチュエーションで上陸ができたんじゃないかと思っています。本当にラッキー
そしてまさに巨大遺跡の島、あの空気はどの廃墟でも味わえない「沢山の人がいた跡」で圧巻でした
さて長崎港に戻ると相変わらず停泊されているドでっかいクイーン・エリザベス号、
今日はずっと彼女の影が見える観光になります
午後のルートです。中華街-長崎駅-ロープウェイはさすがに公共交通乗っていますが、よく歩いた
グラバー園→大浦天主堂→オランダ坂→新地中華街→長崎駅でご飯→稲佐山ロープウェイです
長崎といえば!の一つのモデルルート。かな?普通の靴なら全然ありか。
港から南にやってきましたのはグラバー通り。
国道の一本裏なのに結構お店が賑わっている
といっても国道から見えた旧香港上海銀行長崎支店が目に入って惹き寄せられたのだけれど
この建物、博物館にもなっているらしいです
かなり丁寧にアイス部分を作ってくれる
そしてグラバースカイロードからのグラバー園第二ゲートです。
ここからもお庭を眺めながらのいい景色。
そんな感じで大浦天主堂を抜けたらグラバー坂。
途中で湊会所跡を通ります
アミュプラザで調達したコーヒーを飲みながら結構長い行列に並びます
ただし稲佐山ロープウェイ、帰りがものっすごく待つことになりました。
眼の前のグラバー坂から登っても行けそうでしたが、
北裏にエレベーターがあるとのことで行ってみました
5Fまで登ってきました。
そんなわけで歩道が市電になっているような道を眺めながら商店街を抜けてエレベーターに到着。
グラバー園に行くだけにこんな立派な建物を作ったのか…
ちなみに日本初の公道(市道)として造られたエレベーターらしく、長崎市道相生町上田町2号線。
左の通路に入るとエレベーターに乗れます
斜行エレベーターというそうで、斜めに登ります。
こう、いつもの縦Gじゃないから違和感がかなりあった
階表記が斜めで面白かったです。
途中階の外がスロープになっていて、ビュースポットのような感じになっているようです
東の方面が大変良い眺めである
正面はオランダ坂方面ですが、左斜めに長崎港が見えていました
正面はオランダ坂方面ですが、左斜めに長崎港が見えていました
斜行エレベーターからは西に道が続いており、右側が開けていて良い景色。
この奥には大浦展望公園があって、これまたビュースポットがあるそうです
先程の撮影地点そばに今度は普通のエレベーターがあり、
上るとグラバースカイロードになりました。
市街地から対して離れていないのに東方面は見える範囲がかなり限られている
長崎は本当に高低差の大きい街です。
そして港方面はどうしても目に入る。何階建ての建物に当たるんだ…
営業時間は年中無休の通年8:00~20:00、料金は大人\620
第2ゲートから入ってまず見えるのが旧三菱第2ドックハウスという明治風のお家。
外国人乗組員用の宿舎だそうです
三菱なので近そうだね、と思ったら造船所からの移築だそうです
池には鯉が居るので餌がガチャガチャ式で売っていました。
あと昔の大砲…流和砲と言うそうだが江戸時代末期ギリギリくらいに造られたのか
ここからもお庭を眺めながらのいい景色。
第2ゲートから入ると、グラバー園は全部下りで回ることができます
まあ第1ゲートからも動く歩道でここへ登る順路なので、好みといえば好み。
お花がよく咲いておる。
どこまでも西洋風だなあと感じる立派な水場です
こちらは重要文化財、内装もご立派。
その脇には旧長崎高商表門衛所がありました
住むとなると一人でも相当きつい小ささ(10平米)だが、衛所ならまあ。
名前の通り長崎高等商業学校(のちの長崎大学経済学部)の表門に建っていたそうです
衛所は公園スペースの離れにありまして、戻って道を下ると旧ウォーカー住宅。
明らか西洋風の外壁と瓦屋根のマッチングが独特です中は完全な洋装でした。近世ヨーロッパだ!ってなる古時計とか。
大正に購入したおうちだそうで、なるほど電灯やラジオがあるのは納得
旧ウォーカー住宅の中を通り抜ける形で順路ができており、
通るはまた手の込んだ石細工の水場。
こちらは喫煙所がメインになっていました
階段を降りるとグラバー園で一番広いと思われる休憩スペースにやってきます。
カフェやレストランもあるので、
「グラバー園広そうだけどどこまで歩く?」となったら一旦ここまでにするのがベター
ここは分岐になっていて右(北)がカフェ・レストランですが、
順路的には左(南)の旧リンガー住宅&旧オルト住宅&旧スチイル記念学校へ回り、
ここへ戻ってくるようになっています…後で知りました、結構歩きます左(南)。
というわけで歩いてすぐにあるのは旧リンガー住宅。
リンガーというとちゃんぽんのリンガーハット?と思うとなんと正解で、
この人自体は商会で成功した大商人さんなのですが、
リンガーハットがこの人の名にあやかって命名したというのが経緯のようです。
居間には大きな蓄音機が置いてありました。塞がってはいるものの立派な暖炉があったりも
グラバーカフェは普通のテイクアウト喫茶だったんですが、
そしてご立派な優勝カップが、ボートレースという辺りが貴族らしい
そしてお皿も超絶キレイなんですが、こちらリンガー氏たちが出資したナガサキホテルの食器で、
極東一豪華という名に恥じない立派なホテルとのことだったのですが引き払われることになり、
→N(ナガサキ)H(ホテル)と同じイニシャルで使い回せるということで奈良ホテルが引き取り
→それでも保管しただけだったのか忘れ去られた末、2013年の改装工事で発見(!)
→2015年にここに寄贈され、展示されている
という流れでした。よかったねえ
旧リンガー住宅からまた南に歩き、間の小庭を眺めつつ…
旧オルト住宅は改装工事中でした。
重要文化財で保存修理工事、ただ直せばいいというわけではないので心底大変そうだあ
こういうのは仕方ないので、何年か後に新しくなる日までは会えないものと割り切ります
その更に南奥にあるのが旧スチイル記念学校。正直結構歩いた
東山手9という今は海星中学校の南あたりに建っていたそうで、
明治20年から増改築を繰り返して色んな学園名になっていましたが、
基本英語教育というのがキリシタンの街らしいと言うか出島の街らしいと言うか。
中はたしかに教室らしい天井の高さ、それでも明かりや椅子などが完全に西洋です
入れたのは1枚目の一室だけでしたが、もう一室は帆船の模型が並んでいてこれはこれで興味が。
中央通路の奥には学長と思わしき胸像がありました
さて、記念学校から出たら旧オルト住宅→旧リンガー住宅を戻り…休憩スペースに戻ってきました。
さすがにロクに食わずに歩き通しだとつかれるので、近くのグラバーカフェで一服とします
グラバー氏の舌にキリンビールのマークがあります。
これはこのトーマス・B・グラバー氏が貿易商の傍ら、
日本人の英国留学援助や大阪造幣局開設と共に
キリンビールの前身である「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の設立に尽力したからだそうです
つまりグラバー氏とキリンビールは切っても切れない関係にあるということであり、
そうなればグラバー園で昼間からキリンビールを飲むことはもはや敬意を表する行為というわけです。
そこから降りたらグラバー園のメイン、旧グラバー住宅です。
そんなわけでイエーイ昼からキメるビールは旨いぜ!奥は確かハイボール
ちなみに2杯+おつまみで\1000つまり千ベロなわけで、
こういう感じのカフェにしては結構食べられたので意外でした。
そしてキリンはキリンでいつも通りおいしかったのでヨシです。
一休みしたら出発。
こちらは先程から少し西に歩いた所にあるレストランの方で、行列がありましたのでおいしそう
ちなみに手前の白いはお店関係ではあるものの看板ではなく西洋料理発祥の碑で、
日本の西洋料理はこのお店(自由亭)から始まったそうです
いやあ一部移転できていない建物もあるとはいえ、今までよりひときわ大きな建物だなあ。
中は意外に部屋数自体は多くないのですが、一つ一つがとても広かった。
再現なのでもっと色々あったかもしれないけれど贅沢な空間の使い方ですなあ。
ちなみに貿易は生糸などを輸出して武器を仕入れてくる、
当時の国が求めたものをきっちりこなして国内の貢献も果たした人とのこと、
そんな日本で大きな貢献をした英国の方なのでイギリス関係の記念樹が庭には植えられていました
最後に胸像も見てグラバー園は大体が見終わった感じです。
再び階段をおります。大分降りてきましたがいい景色
恐らくグラバー園の最北端あたりにいるのですが、こちらは展望台がありました
長崎港を眺められるいいところ!
だが今日は丁度真正面にクイーン・エリザベス号が。
この日ばかりは彼女のビューポイントと化してしまっていましたが他にも見られたしまあ良いか。
日本庭園を通りながらまた大きく南に降りています
2枚目は奥が旧グラバー住宅、裏辺りにはレストハウスがあったかな?
北端だったはずが大分戻ったのが分かるかと思います。
そして最後に長崎伝統芸能館を通るのが順路となっていました。
色んな船に目を引かれる、あとお祭りの動画も中々興味深かったです
そうして出口へ。
思ったよりボリューム多くて正直下りっぱなしなのに歩き疲れる位でした
それでも色んな外国の人の商館ではない住宅の方を巡れたのは中々に貴重で、
四季の激しい日本の中でも西洋祖国の暮らしをなるべく再現しようとした造りは見て楽しかったです。
長崎に来たらココ!と言われるのは伊達ではないといった感じで良かったです。
ただ歴史に興味がないとただの有料建物ウォーキングになってしまうので、
幕末~日英同盟くらいの歴史を日英だけでも良いのでさらってから来たほうが良いかも。
グラバー園を出たら南山手十六番館がありました。資料館にもなっているようでした
次なる目的地へ向かうために東へ坂を降りていきます。
手作りカステラが当たり前のように売っていて、さすが長崎というイメージ通りの街なんだ
そして坂を降りたら背後に見えるのが大浦天主堂!
あっ観光地化されたとかではないガチの教会なんですね。
拝観料扱いになっており、大人\1,000。
建物の外観はご立派もご立派。
天主堂というのは=教会と捉えて良いようです。
中国における神が天主で、それを使った新しい宗教だ、という考えが当時されていたようです。
天主堂の中は撮影禁止だったので写真はありませんが、中々に良い雰囲気でした。
別に神父さんが居たりとかはしなかったので自由な空気だったし
ステンドグラスがいい具合に光が入って見ごたえがありました。
で、\1,000も払って天主堂だけ見ておしまいなんてことはなく、隣に資料館がありました
むしろそっちがメインでキリシタンの歴史を知りたいならここでガッツリ学べます
まあ、うちは8,000,003の神仏たちを初めとした宗教本体には興味はないので通り過ぎました。
建物が綺麗で独特の雰囲気があった、それで大変良かったです。
そんな感じで大浦天主堂を抜けたらグラバー坂。
行きで見て「賑わっていて楽しそう!」とは思っていたので下りでやってきたわけです
期待通り、お土産屋ばっかりですので3時のおやつに文明堂♪
食べ歩きで崩れないようにか、カステラにお饅頭の皮みたいな包がされていて食べ歩きやすかったです
色んなプリンがありましたが珍しげなプリンソフトを選択
まさにクリーミーなプリンで美味かった!
(日本人が初めてプレーしたのは神戸らしい)
他にも長崎発祥って結構あって、先程のグラバー園の公道エレベーターや西洋料理もそう
アスファルトやテニスコートもリンガ―氏が作ったらしく、グラバー園を探せばあったっぽい。
軍艦島30号棟は初のRC造住宅だし、食べ物はじゃがいもにキャベツやトマトなど多彩。
出島経由で色々と入ってきていたので日本発が沢山あるみたいです
碑の後ろにあるこの四海楼が発祥地なので訪れようとなりましたが、おやつ時間なので準備中。
ただし1Fに売店と、2Fにちゃんぽんミュージアムがあったので訪問してきました
OH,This is CHAMPON…
ちなみにおいしいちゃんぽんの作り方が載っていました。
これに沿って作れば美味しいちゃんぽん麺が作れるみたいだ!
さらっと「鍋のフチが泡立つくらいの弱火で4~5時間ほど煮込む」とか書いてあるけどな!
材料にも水がカップ20杯、なんでccじゃないのかと思ったら長時間煮込むので継ぎ足す前提らしい。
まあ圧力鍋で短縮は可能なのかな…?
ひとしきり南山手町~松が枝町の一帯を巡ったのですが、
15時を余裕で過ぎてもお昼ごはんがまだな2人。歩き続ける夫婦である
東の住宅街の中にあるお店が気になるとのことで、おしゃれなオランダ通りを歩いて向かいます。
調べてみると長崎税関のHPが引っかかる程度には貿易関係の施設だったようで、
明治開国に伴って解説されたそうです。
現在はみなとメディカルセンター付近にある、というか長崎税関なので出島近くですね
坂も折り返しの頃にずいぶん立派な西洋館がありました。
湊会所跡から上るとオランダ坂の石碑が!あまり意図せずやってきました
別にオランダ人が作ったとかそういうわけではなく、
江戸時代は西洋人=オランダさんだったので、その人達が通る坂という意味で各地にあるそうです
ここはその内の一つ、活水女子大学下の坂です。
東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)といい、元は領事館だったそうです
後にミッションスクールになっていたので、資料館の内容はそれ関係だとか。
オランダ坂の頂上から東の道って車道がないんですが、
坂は12~15%くらいの歩きでないとしんどいかなーってくらいの傾斜が続いていました
東山手十二番館からは赤レンガの坂に切り替わり(正確にはそのまま歩くと大学に入る為に避ける)
結構登ったのでいい景色が見えるようになります。
頂上から道を探して歩いており、活水女子大学の建物を横切ったりしています
古い建物がどれも独特に西洋チックな街だなあ。
オランダ坂の頂上から東の道って車道がないんですが、
地図にギリギリ記載されているような階段道が何本か通っているのでそれで東に降りていきました
普通に買い物帰りの奥さんとかと何回かすれ違う。そんな中にある広済寺&住江稲荷神社
長崎は坂の街もだけど、階段の街でもあるなあ。
中華街は南側から入ったんですがでかい門が2つ。
そしてお店に訪れてみたら準備中。
近くのおうちの寝ているにゃんこが撮れたくらいでした
食えないものは仕方がなので市街地を目指して福建通りへ合流。
今度は長崎新地中華街である
石の門があったりして立派だ。
中華街は南側から入ったんですがでかい門が2つ。
1つ目は公園のような広いスペース(休憩所で将棋かなにかしてた)に古めかしいものが一つ
その奥のまさにいるぐちに少し年代後そうなものが一つありました。
さすが三大中華街と言う感じです
そんなわけでさっくり諦めて市電で長崎駅へ。本当に便利であるこの交通網
新地ってなんでだろうと思っていましたが、
どうも江戸時代の大火で中国線の荷蔵が焼失してしまい、ここは埋め立てて倉庫街に
その後の開国で唐人(中国人)がここに移り住んだ結果出来た中華街とのことです。
開国まで唐人は空堀で隔てられるほどには住居が制限されていて、
それがさっき通った広済寺の南あたりにあったようです。
えーっとちなみにご飯はおやつ時間はやっぱり準備中でどこもやっていなかったので通り過ぎています
そんなわけでさっくり諦めて市電で長崎駅へ。本当に便利であるこの交通網
長崎市街を観光する分には市電オンリーで十分だと感じます。
まあ便利なだけあって時間帯によっては人が多いんですが
長崎駅までくればさすがに時間帯関係なくご飯がたべられますのでアミュプラザでようやく!
汁なしちゃんぽん(嫁は皿うどん)でご飯にした後、
地下の飲み屋街で日本酒と刺し身を決めて休憩としていました。
休憩して時間を潰した夕方ごろ、嫁が予約してくれていたバスに乗車。
稲佐山ロープウェイ行きのバスです
長崎駅からは浦上川を挟んで西にある山で、長崎市街を一望できるので有名です
バスは少し走ってロープウェイふもとの淵神社駅の北駐車場に到着。
本当に神社を通りながらロープウェイの駅に向かいます。夜なので当然本堂は閉まっていました
とはいえ20分くらいで乗れたかな
ちなみにここでペンギン博物館がノーマークだったことに初めて気づきます。
しまった!しかし日程は2/3を消化しつつあり、時既に遅し。
山の上にやたら電波塔があって光っていますが、あそこがロープウェイの頂上のようです。
世界新三大夜景とかいうのに入っているだけはある
2枚目は浦上方面、3枚目は大浦方面です
五社公園のあたりかなと思います
近づいて撮ってみますが30倍だとかなりボケるのでこれくらいの倍率が限界かな
いやあ今日は晴れていてよかった。
市街が狙ったかのように山の正面に広がっているのでまさに絶好のポイントでした
結局ホテルへ帰るのが1時間遅れたかな?
下り待ちが一気に集中したせいでロープウェイだけ詰まり方が酷かった。
スロープカーの方はそうでもなかったので、タイムスケジュール詰まっている時は
行きロープウェイ→帰りスロープカー+バスを模索するのはアリ寄りのアリだなって思いました。
そんな感じで濃かった2日め、コンビニでご飯を調達したらお風呂だけ浴びてさっくり寝たのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿