長崎に飛んできています。
1日めは小雨曇のハウステンボスで、独特の欧州風雰囲気を堪能してきました。
カナルクルーザーやバスを活用してきれいに整えられた庭園と建物を見られたのが良かったです
アトラクションは楽しかったけど、あくまでおまけかな。
そんな西浜町のホテルから、2日めは天気は回復してのスタートです。
ホテルは中央橋交差点近くのH2というところ。
先日話したR324のアーケード国道の関係で何故か国道沿いになっています
その後は女神大橋を越えまして長崎湾も終盤。
ほぼ南西から。
最古と言うだけあって、さすがに劣化の進みが深刻に見えます
朝ごはんはパンでサンドイッチの具をバイキング形式で取っていく感じ
少し変わった感じですがまあいつものように野菜中心で好きなもん取っていけばよいのだ。
なお、部屋はベッドが2段式で下の人は死ぬほど頭をぶつけます
浜町アーケードをなぜか見失ってしまい路側帯を歩いているところ。
結局観光通で乗りましたがこれで正解で、乗り換えなく大波止で降りることができました
しかしさすが市電の街、特に長崎は基本的に上下2本が常なのですっごい本格的できっとマニアは喜びそう
クイーン・エリザベス号でした!マジでスケールが違いすぎる
そんなわけで大波止から目指すは長崎港…
なんかやたらめったらにでっかいのが停まっている
手前のクルーザーも大分豪華なんだけどそれすら小さく見える
というか、その奥の駐車群とサイズを比較するとでかさが半端ない。
ちなみにはためいているのはイギリスの商船旗だそうです
ここは軍艦島クルーズの出発地になっています
今日が晴れてくれて本当に良かった!!
今回の長崎旅で自分が強く希望した場所なのですが、ハードルが結構あるので先にまとめておきます
・基本1週間以上前くらいには予約が埋まる人気ぶり(乗る前の壁)
・外海になるので船揺れる時は本当に酷いらしく、昨日は欠航したらしい
・長崎市有地のため、端島への上陸は市からの許可が必要
その条件は波50cm未満などで(他視界500m/風速5m)、厳しめ(着いても外周一周のみの可能性)
※とはいえ出航してしまえば結構上陸できているらしい?
あとは
・上陸許可が出ても他ツアー船が多いため、観覧は大分駆け足
・上陸可能区間は南東の一部
です。
誓約書も必要なので忘れずに。(忘れても用紙くれるけど)
そんな感じの船旅出発です、クイーン・エリザベス号を背に見ながら。
毎回吐く人が多いためか、船酔いしないコツを船員さんが説明していました
・下を見ない(三半規管が混乱するため。頭上げ気味でいいらしい)
・遠くの一点を凝視する(対症療法なので、気分が悪くなったらやること)
・口の中で何かを転がし続ける(全員に飴が配布されました)
そんな中で室内の逆向き座席に乗った酔いやすい自分はピンチです。波高かったら即死である
ともあれ序盤は長崎港なのでしばらくは安心。
西岸に三菱重工の長崎造船所があり、イージス艦などが停泊していました
そして次にもう一つの造船所、立神工場を通ります
その中にひときわ古い鉄枠がありますが、第二船台と言ってそこで戦艦武蔵が造られたとのことです
もはや遺構レベルだねえ!
その後は女神大橋を越えまして長崎湾も終盤。
高鉾島を眺めたあとに裏から神ノ島町の岬のマリア像がこんにちは。
一緒に鳥居もあるのが長崎らしさだそうです。神キ習合
丘上にはカトリック教会もありました
これはいけるのでは?
少し立つと離島が見えますが、こちらは高島。
確か軍艦島と同様に炭鉱で賑わっていましたが、
こちらはトーマス・グラバー氏が関わっていたそうで別邸もあるとのこと。
現時点では「?」ですが、グラバー園に行った後にこの意味は理解できます。
端島(軍艦島)です!このシルエットはまさに軍艦
ここから席は自由になり、我先にと2Fに飛び込んで撮影大会になります
初動が勝負!いやあ、これが見れただけでも大きいぜ。
実はwikiに詳細な解説があるので見ながら喋っていきます
(https://ja.wikipedia.org/wiki/端島_(長崎県)#/media/ファイル:Nagasaki_Hashima_map_ja.png)
真っ先に目に入る目立つ赤レンガが端島炭坑総合事務所跡、奥に7号棟(職員クラブハウス)北隣に6号棟(職員合宿)があるはずですが崩壊済みかな
西隣の5号棟(鉱長住宅)もこれまた跡しかなさそう
それで背が低いけれど隣の丘裏に2号棟があり、祠は1号棟(端島神社)。
丘の下にあるのは貯炭場などの炭鉱関連の施設だそうです
それに隣接しているのは70(端島小中学校)・71(体育館)号棟で学校は7階建て、凄まじい密集ぶりです
三角屋根は採炭関連で、四坑上家だとか。
ちなみに65号棟、遊ぶスペースがないためなんと屋上が遊び場になっていてすべり台がある。
というか屋上幼稚園だと…!?
理容院まで併設って本当に過密極めとる。(31号棟は+地下公衆浴場もあったとか)
それとちょろっとだけ見えた67号棟(鉱員社宅)、こちらは特徴的なX階段だけ見えました。
鉄筋コンクリートが最先端技術の時代でELVが普通にあるわけもないので高層なのにALL階段
67号棟は4階建てですが少しでも登りの負担を減らす工夫をしていたのだと語っていました。
その北奥には69号棟、端島病院。裏に隔離病棟があるとか
海側の小さいのはちどり荘といい、教職員の社宅だそうです。
南東側から見られるのはこんな感じ。
観光船が取り付けているので、恐らく上陸許可でそうだねと思ったらこの後出ました!
船は反時計回り(東から北回り)に巡っていきました。
建物はいつ崩れてもおかしくないレベルに崩壊が進んでいます。というか既にいくつか崩壊している
長崎に来ることができるならなるべく早く行っておきたいと希望したのは正解のようです
端島(軍艦島)の北東にあるのが中の島で、大きさは端島より少し小さい程度。
ここは火葬所などがあり、端島の補助的な役割を果たした島だと話していました
主に70号棟(端島小中学校)69号棟(端島病院)65号棟(鉱員社宅)を眺めながら回っていきます。
ここの右手前の白い建物が68号棟(隔離病棟)かな。
そうして北西側に回りました。
こちらの方が緑がないため機械的な感じがして、より"軍艦島"らしく見える気がします
こちら側は鉱員社宅・合宿が非常に密集しており、68(隔離病棟)の左(北)から
67,66,61,60,59号棟と単棟が続き、60,59号棟の裏にはまた57,56号棟がある
が、56は見えないね。3階建てだし
これらは4~5階建てなので9階建ての65号棟からすると低く見えましたが全部社宅かこれ。
ちなみにこの高さだと波が飛び越えるため、裏の商店街は「塩降街」なんて呼ばれていたとか。
そのためか地下にも浴場や購買所などの色々な施設があるようです。
そしてまた引き続き鉱員社宅や職員社宅、
9階建ての大きな建物は16~20号棟で奥の14号棟まで繋がっているらしい。通称日給社宅
で、その手前に突き出している白い建物が51号棟で、これは波を受けまくって白くなったのだとか
台風時には普通に高層まで波がかかってきたそうで、
51・48号棟はその波をまっさきに受けることになっていたとか。
あと59・16号の間から57号
2枚目は多分48号(鉱員社宅)-20号(日給社宅)-14号棟(中央社宅)じゃないかなと思っています
そして48号棟の隣からが公共エリアで39号棟(公民館)…
の隣の50号棟(映画館)は倒壊してしまったそうです。23号棟(泉福寺)もかな?
50年以上経てばそら倒壊する建物は出るよね。50号棟は1991年の台風だそうです
此処の位置関係は非常に複雑で把握が大変です。
公共エリアは2~5階建てなので低めの建物エリアだと認識しておきます。
あと職員住宅がこのエリアに入り混じっている辺り、待遇の高さが伺えます
そして崩壊した空間の右(南)にある長い建物が31号棟、30号棟(鉱員社宅)。
31号棟に郵便局が併設されていたりして本当に密集ぶりが伺えます
裏に25号棟(職員社宅)があるらしく、やはり職員は基本的に高波から守られている
その奥(最南端方面)に見えるちょこんとしたのは仕上げ工場後の一部のようです。
あの辺りは加工工場などのエリアになっていたそうです
このあとは一旦引き気味に離れ、また反時計回りに回っていきます。
上陸許可は出ているので南東にある桟橋へ向かうためです
いやあ絵になるなあ。
仕上げ工場裏に30号棟(鉱員社宅)が、左には31号棟(同)が見えます
1~3の広場で各種施設の説明をしてくれると行った感じです。
見えるものはあまり変わらないので、どの業者さんを選んでも同じようなお話が聞けると思います
まあ実際こうして見て思うんですが、西~北の社宅エリアは密集しすぎているので危ないのは当然。
東側のベルトコンベアー周りも歩かせて欲しいなーとは微かに思うところですが、
上陸できるだけマシofマシな状況かつ実際あの場に立てたという意義が非常に大きいので、
とても良い思い出になりました。
まず目に入ってくるのは北方面のベルトコンベアー跡。
岸壁部分。
コンクリートで覆われているところと石組みの所がありますが、
石組みのところは明治期に造られたということで世界遺産に指定されているとのことです。
説明を受けずに入ると何気なくスルーしてしまう
見学通路はさすが整っていて、歩くのにはなんの問題もありません。
ちなみに釣り人が別の船着き場から来たりするのでコンクリに立っていたりします
3枚目は振り返って外壁のコンクリをくぐった辺り。4枚目の右にあるのはブロワー室かな
かつてはここで炭が運ばれていた
いろんなグループが入れ替わりでツアーしているので結構忙しいのですが、
いろんなグループが入れ替わりでツアーしているので結構忙しいのですが、
当時でも「うお…」って感じるくらいには雰囲気がありました。
別に時系列とかそういう事情もないし
なので最初に通る第1見学広場は本日最後に寄ったところです。
隣に選炭機があったそうですがほぼ跡形もなく、奥の巻き上げ櫓(ろ)や二坑口桟橋の背中が目立ちます
巻き上げ櫓を回り込む形です。
そして総合事務所。
そして外から見ても目立っていた赤レンガ、総合事務所が見えてきました。
この正面が第2見学広場になります
総合事務所はかなり劣化が進んでおり、結構補強が入っていました
ただむしろ、それほど重要な施設なんだなと思うほうが大きい。
ここのハイライトは第二坑口と総合事務所の役割についてで、
第二坑口につながる階段は「命の階段」と呼ばれていたというお話が印象的でした
一時期ですが死亡率40%ともなっていた非常に危険な坑内、
それを抜けた階段であるために命のありがたさを実感するからだそうです
ここは坑口から出てきた人の風呂場があったそうで、3層にわたっていたとのこと
最初に服の洗浄と次に体を、といった具合に順番に洗っていたそうです
そもそも炭鉱といえば高温多湿粉塵重労働が当たり前で、端島も例外ではなかったというわけか。
給料こそ早くにTVなどが揃うほどには高かったものの、
現場の実態はかなり厳しかったのがひしひしと伝わってきます。
緑はなく日当たりも悪く子供が皮膚病にかかったりと、職場以外も過密が原因の問題があったようで
そんな中でたくましく生きた人々の跡を、こうして見ているというわけです。
先程もちらっと話しましたが一つはこの島を囲う石垣、
その中でも明治に造られたこの画像の組み方をしたものが指定されている
もう一つは炭鉱内なのですが、さすがに入れるわけもなく。
我らパンピーはこちらの世界遺産を存分に撮影することにします
南から見る総合事務所。
その隣りにあるのは会議室と鍛冶工場…は大分潰れているっぽい
と思ったら、こちらがその一端のようです。
このあたりの説明を受けたら更に西へ、第3見学広場へ向かいます
途中にあるダストシュートか排水路か知りませんが、溝がご立派でした。
大穴が空いているのが会議室で、その左にあるのが第二坑捲。
第二坑捲の手前に仕上工場などがあったそうですが、そちらは完全に倒壊…
周辺の製缶場や下請住宅と倉庫に関しては完全に倒壊していました
そして仕上げ工場の北西に第3見学広場があります。
ここから眺めるは奥の30号棟(鉱員社宅)、なんと日本最古のRC(鉄筋コンクリート)造だそうだ
というかこの島の建物、色んないわくの付いた建物が多すぎる問題。
これがまだ建っている間に見られて良かったという気持ちですまあ何年かは持つだろうけど
ちなみに2枚目は30号棟の左隣で奥にあるのは25号棟(職員社宅)、隣は31号棟(鉱員社宅)です
移転してきたそうだけど熱中してたせいでノーマークでした!幼児用と25mプールだそうです
こんな感じで島の見物は一通りおしまいになります。
上陸日は本当に多くの人がここにやってきます
視点が変わると見え方も変わるんよねえ、かつて産業を支えていた炭鉱の島、いい雰囲気です
行きは席が大分マゾくて酔わないかとか上陸できるのかとか不安だらけでしたが、
こうして晴れの中で上陸までできて本当に良かったです
廃墟巡りは時々やっていましたが、観光ルートとはいえここは規模が段違い過ぎる。
帰りは端島(軍艦島)の歴史なんかを綴ったパンフレットなどなどを見せてくれます。2冊回ってきたかな
あと上陸証明書ももらいました。目で見た収穫があまりに大きかったので、こちらはおまけ。
いやぁ、本当に満足満足。
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