2024年1月30日火曜日

奈良ドライブ旅 大神神社と若草山焼き

 県道走りの翌週。
2人で奈良に行きたくなって車で出かけている所です
一般道縛りは一人でしかやる気がないので伊勢湾岸→東名阪で御在所SAへ、
その後は普通に名阪国道で針まで走って休憩している所です
いつも通り妻は酒を飲みつまみを食べながら座っているので、自分だけお昼ごはん。


奈良についたらまずは大神神社へ!三輪そうめんの街です
鳥居がでっかいなと思いながら無料駐車場へ、この踏切から西にしか駐車場はありませんでした



参道は県道238号三輪山線になっており、なんとR169から大神神社までの参道県道になっています
そして元々は自動車お祓い所への車道だったんですが、大規模改修中で一気に開けた感じになっている最中でした


そうして到着しましたのが大神神社二の鳥居。
奈良県道238号線は恐らく起点(多分自動車お祓い所入り口の方)になりますので、意図せず大体完走しました


参道は細めながら綺麗にされています。灯籠が新しい辺り人気さが伺えます
コロナがきっかけと思われる非常に増えた柄杓なしの手水舎も、参拝者が多い神社特有です



交差点あたりで神社の案内がありました。
ここは古事記の要所として度々記されているそうです
摂社の檜原神社が元伊勢(昔の伊勢神宮)だったこともあり、太古の要所だったようです



鳥居の3つ目はしめ縄柱。
大神神社の拝殿がこちらになりますのでお参りしてきました


あと珍しいのが、こちらお祓い串がセルフサービスになっていました。
普通はお祓い受付で神職の方にしてもらうもんだと思っていましたが、こういう形式もあるんですね


ちゃんとした祈祷殿も北にありました。きちんとお祓いして欲しいならこちらでしょう
それと、こちらには”なでうさぎ”が祀られていました。
江戸時代からこちらに伝わってきたそうで、なでなでしてご神助を頂くという形でした
膝って言うと後ろ足の曲げ部分かな...って感じでなでなでしてきました



なかなか楽しい神社でした。時間に余裕があれば狭井神社と檜原神社も行ってみたいものです
実はこの日は若草山で山焼きがあるそうですので、そちらを見に行くためにこれで戻ります
三輪そうめんはなら歴史芸術文化村で買ってあるので大丈夫!


はい、若草山は東大寺の山であり近鉄奈良の最寄りの山でありますので人と車だらけで近寄れませんでした
でも花火は見ることが出来ました。かなり綺麗でした!


そして花火が終わった辺りから駐車場が空き始めました。山焼きも一通り終わったんでしょう
というわけで停めて帰る人の波をかき分けて若草山を見に行ってみます
やはり既にかなり燃えておる。
リアルに燃えているのを見るのはなんかこう、そそられますよ


奈良公園をひたすら登っていきます。水谷茶屋まで登るのでそこそこ長い
自分はともかく、車でずっと飲んでいた妻がだいぶキツそうです。
人の波に乗って道沿いに登るかと思えば、係の人が階段を案内してくれました
この大量の帰りの人波を階段で帰らせると誰かが転んだ時の被害がヤバいので、登り一通にしていたんですね。


というわけで若草山の山焼き会場に到着。
随分燃えは進んでいるものの、まだちゃんと見られますね


後ろの景色も綺麗。
ちなみに山焼きとのことで大量の消防団が召喚されており、この時間は次々と帰還してきていました


恐らくやぐらがクマれていたと思わしき所へ。
神事の雰囲気が出て大変良いと思います
火をしばらく見たら満足しましたので、あれこれと見て帰りました


最後に駐車場へ奈良県庁を通過。
屋台はギリギリ撤退中くらいでしたがまあ特に見るものもなかったので。
あと天理スタミナラーメンを食べようと思ったら改装中で屋台だったので、
御在所SAへ再び戻ってタンメンのセットを食べあって帰りました。
いやあ、若草山焼きの人出は想像以上にすごかったですね。今度行くなら電車は必須でしょう
それでもなんだかんだ2人のドライブが楽しかったのでヨシとして、おしまいでした。




2024年1月29日月曜日

愛知県道443号富岡大海線 ②浅間峠~終点(大海交差点)

県道443号、起点から細道の歩道を経て野道経由で浅間峠までやってきました。北西に風切山があります
いやあココ何年かで野道の峠は何本も歩いているので慣れたもんだと自負していたんですが、
今回は初のパターンに遭遇して戸惑っている所です。
というのも今回ルートが変なんですが、それが明らかに”人為的な改変が原因のもの”という点であり、
県道を歩かず西隣の林道経由から県道に登ったかと思えば、
今度は東に逸れて浅間神社巡りルートで浅間峠に誘導される、というのは複雑な気分です。
公道の役割とは...と思う所ですが、
”峠付近のルートは別の要因で現実に沿っていない”という問題も同時進行しているので余計に困惑中です。
今は編集しながらじっくり見ているのでなんとなく頭が追いついていますが、
現地だとだいぶ頭が混乱して「帰ってから考えよう」ってなっている所です。



まあそれでも曲りなりには浅間峠に着きはしていますので、あとは北東に抜けようと思います
ただし「峠を挟んで両側の整備状況が全く違う」なんて事態は
よくあるどころかしょっちゅうというか日常ですらありますので、気をつけて進んでいくことにします
ちなみにああだこうだと歩いてしまっていますが、起点からはちょうど4kmくらいです

で、早々に赤い紐に沿って歩くと地理院地図とルートが違います。
真東に向かってしまうんですが、こっちもルートおかしいのか。

 

県道ルートの方を優先したかったので、戻って北上しています
まさか早々に別れるこの倒木だらけのルートが正しいだなんて誰も思うまいよ。


県道ルートは一応道にはなっているけど、倒木が酷すぎてマトモに自転車通すのがしんどすぎる
こんなん!誰も!整備しとらんやろがい!


そして倒木を越えたら道がなくなりました。途中で道筋が消失する県道368号旧道パターンだ...
どうしようもありませんが、一応地図に沿えるだけは沿ってみます



とはいえ道筋がないので、山の平目なところで「この辺かな―」って適当に歩いています
あまりに目印がなさすぎて2枚めは若干北にズレていたので修正している所です



どこで曲がろうか悩んでいる図。最初見た1枚めが正解でした
こんな感じで全くの林の中だったので、県道443号としての道っていうのは元から整備されていないのだと思われます


当たりをつけて降りていくと、まあやっぱり道筋のみもないんですが一応降りることだけは可能でした。
赤い紐を見つけましたのでそちらに向かっていくと道筋が見えてきました
峠を見て撮ったのが4枚目ですが、あっちもあっちで結構急ですね。


・合流地点
そんなわけで赤い紐、現在の実質の通行路と合流したのがこちらになります
いやあぜんぜん道じゃないと言うか峠付近のルート明らかにおかしいな、と思ったらやはり県道の指定が変でして、
通り道自体は1961年から見られる分でも実質の通行路ルートのほうが通られていました。
つまり峠付近に関しては地理院地図は計画道か未整備の箇所を指定し続けているわけで、
今回は実際にそのルートが本当に整備されていないことを見て歩いてきた形になった訳です。
まあ2枚目の通り、実質の通行路も大概歩きにくそうではあるんですが遥かにマシってことで
そして地図の変なところはココまでですので、あとは地図を信じて北東にひたすら降りるだけです。


ということで後は道に沿って降りるだけ...なんですが、倒木めっちゃ多いな。
多分降りるに従ってマシになってくるんだろうとは思う(過去全ての野道県道でそうなっている)んですが、
南西側と比べると明らかに歩きにくいとなります。
傾斜自体は先程の合流地点で落ち着いていて、ゆっくり降りられる状態です。


本当に倒木だらけです。
一応マシな区間も結構あったりはしますが
あといつの間にか沢が始まっていて脇に水流を見ながら降りていきます


・木橋
峠から350mほど、標高は143m。
木の橋が見えてきました。沢が本格的になっているので必要でしょう
それなりにしっかり作られていましたが、結構年数が経っているのかいくらか腐っていて、
渡る時はちょっときしんだりしました。
まだ沢は浅いので最悪降りて渡河することも考えたほうが良いでしょう




そして木橋を渡った先なんですが、倒木でメチャクチャです
そして赤い紐と黄色い紐でルートが違い、こっちはまだマシなんですが黄色い方は面倒そうでした
とはいえ道筋としては黄色い方は自然だったので、これ紐の色で時代が違うんだと思います
黄色が古い方、赤色が新しい方ですね。
県道のルートとしても恐らく黄色を沿うのが正しいんだと思います


・猿田橋
そうして上の画像でも見えていた橋です。標高141mで峠から450mくらい
この荒れ果てた状態の中で近代規格の文明的な橋がいきなり現れました。わりと驚きです
コンクリで側溝まで整備されていて、銘板もしっかりしており猿田橋とありました。
しかも昭和58年に架けられただと...かなり新しいじゃないか
この手の橋は1960~1970年代のものをよく見ていたので意外です。
(例えば県道424号川合橋は旧がS45(1970)改築、現はS51(1976)架設。県道364号ヅンボ橋はS41(1966)架設)
にしては随分ぼろぼろなんですが、まあ築40年レベルは手入れの頻度も大きく関わってくるってことですね




さて猿田橋を越えても引き続き野道です。というか既に倒木が見える
これは県道437号のひどい時に匹敵する倒木頻度です。これは嫌だなあ。


・水濡れ&側溝×2
峠から550mくらい歩いた頃の標高129m、今度は奥に側溝が見えてきました
ただしその周辺が水に濡れっぱなに木だらけで近寄りがたい...とは思いつつも真上まで来ました
ああ網もかかってたけど流れちゃっているんですね。
というかなんでこんな中途半端にお金かけて整備してるんだ。



そして濡れ道を超えて歩いていたらすぐに2個めの側溝を発見。なのでひとまとめにしました
こっちはちゃんと導水が出来ているから自然に溶け込めていますね
いやさっきの所も導水こそしていたけれど、手前のパイプからが詰まってgdgdになってたなぁ。


この先も様子は特に変わらず倒木をまたぎながら歩いています
ちょっと高低差が出来ていて、足元が石垣ぽくなっていたので撮ったのが3枚目です。


それでも水の流れとはっきり別れてくれると、一応道筋はちゃんと続いてくれるようにはなりました
いやあ放置っぷりは相変わらずなので、避けるのが面倒な所は相変わらずあるんだけどね...。


・側溝③
峠からは900mくらい、標高113mなのでなだらかに降りている頃。
右側の林がなくなって野原になりました、と共に崩れかけている所が。
と思ったら奥に側溝を見つけた所です
でも落ち葉が溜まって水の流れが変わったせいでこんなにえぐれちゃっているんだね。
南西側と違い、北東側は一応県道にしようとした跡が見られますが管理者が居ない感じです



・廃小屋
その100m後、今度は壊れた小屋を発見しました。
西の山にはいくつもの段差があり、畑に使おうと整えられた跡が伺えます
というのも先程からの野原になる手前から既にこの細い一帯はずっと畑として使われていて、
なんか1970年あたりで↑の石垣になっているのを見つけた辺りで土砂崩れが起きた跡が見えまして
そこから段々と上流から植林しだして畑があまり使われなくなって今に至るみたいですが、
他にも小屋があったような跡は見受けられました。


・野道分岐
峠からは1kmちょいで標高は107m。
枝やすすきが邪魔だなあって思っていると西奥に野道の入口を見つけました
これは地理院地図を見ていれば分かる点線道で、
特に何かありそうにはないので作業道っぽくはありましたが一応歩けはしそうでした



野道区間も最後、ここまで来ても草で歩きにくかったりして最後まで放置されているなあ感があるのですが、
ようやく通行止め標識と舗道が奥に見えてきました。


・通行止め標識
峠から1.2kmほど、標高103m。ようやく通行止め標識まで降りてきました。
南西側と違って北東側はひたすら倒木をまたぎながら延々歩く形だったのでかなり長く感じました
南西は44分/900m+県道往復、北東は52分/1.2kmなのでむしろ短いはずなんですが。
大体倒木ストレスのせいだと思います



あとは各パーツのアップ。
県道の標柱は山側にありましたが県道437号北側分断付近でアホ程見たのであまり有り難みが。
ちなみに通行止め標識の真ん中辺りに意味深な文字が張ってありましたが設置場所の表示かも
まあこれだけ通行止めってあったけど無事通ってはこれましたよ。
ルートは変だし倒木だらけだったけどな!


あ、ちなみにこの横の畑と下の山、売地らしいですよ。
脇は広い舗道ですよ。どなたか買われます?
(ここから南西の話は一切しない)


野道区間はこうして終わりました。まあまあカオスでしたが初見殺しだらけだった部分がある
...公道で初見殺しはダメなのでは?
オホン。
ひとまずこの端点からサイクリング再開です
下の地図の舗道再開まで来ていますので、本当に走るだけです
2・3枚めで端点を名残惜し見ながら、あとはサーッと下っていきます
脇には畑用の小屋が残っていました。
残りは舗道復活から北のこんな感じです


やはり南が行き止まりなのであまり通行の跡はありませんが、それでも掃除はされています
降りたらいい景色なので脇道から景色を撮っていました。


工事かなと思ったら坂の下の工事用みたいでした
畑のあぜ道が舗装されているような印象です。


それでも工事内容自体はこの県道の法面工事がメインでした
そして「この先400m通り抜け出来ません」の看板を発見!



ここから吉川の集落に入っていきます。
久しぶりの人里はどうも車道の端を走るって間隔が抜けがちで困る
まあ車道って言っても大して広くはないんですが。


そうして通行止めから800mほど降りていたら県道392号に合流。峠からは2kmで標高81m
すれ違える県道相手には仕方ないがやはりこちらが一時停止側である
バスも通っているちゃんとした道です。もう安心して走れるでしょう


というわけで県道392号として走ります。
センターラインこそないものの車のすれ違いは余裕のレベルなので、車速はそこそこ早い
というか車通りがあるのだ。これまで皆無だった県道443号と一緒にしてはならない



900mほどゆっくり下って標高71m、細道との分岐に着きました。
はい、その細道こそ県道443号です
分岐の標識は一応県道392号と県道443号を両方とも標示してくれています




県道443号単独区間再び。やっぱり道は細いです
下りながら渡る橋は大入橋、まさかの大入川のメイン橋がこんなちっこいのでいいのか。
と思いましたがあっちの大入川とは完全に別物だったのでまあこれでいいのでしょう


その後は工場沿いに登り直したかと思えばヘキサを久々に見たり(起点から2個め)


再び丘を軽く下っては上ってで隣の市道からの車通りのほうが明らかに多いことに違和感を感じたり
(馬渡の集落からの南下でよく通ってきていた)


こちらも日吉神社方面への登りで再び集落に入ったかと思えば、
反対向きのヘキサを見つけたり


そうして最後は一気に降ると県道69号と合流し、県道443号の単独区間はすべて終了しました。
この間1.2kmほどで峠からは4.1km、標高は63mで小さく降りては登っての繰り返しで最後降りてきました。
長篠から吉川辺りまでの道のショートカットにはなり得ますが、
そこから先はR257だったりの方が色々良いので車通りはほぼ皆無、そんな区間でした。
さあ、ここまで来ればあとは距離が残っているだけだ!


県道69号は豊川の南岸をずーっと沿っている県道で、
岡崎から鳳来峡方面に走る際にR151の気分ではないときによく使います。
なので割と走り慣れているので、これといった感想を持てません
たまに登ってその分降りてを繰り返す、2車線で整った広くて良い田舎道です。
ちなみに今日こうして走るまでここが県道443号が並走しているなんて意識は微塵もありませんでした


県道69号(443号が隠れている)は市川の集落の川下あたりから道が狭くなります。
車はなんとかすれ違えるかな程度なので車はまあまあ速いよ


道こそ細いですが、このあたりは峡谷感が出てきて川が結構見えるので景色が良いです。
もちろん車には気をつける必要はありますが。
深沢橋からゆっくり豊川を見たかったんですが、やはり結構車が居たのでぱっと撮って次の喫茶まで抜けています


・牛渡橋(県道439号と合流)
そうして県道69号として3.5kmほど走って計11.4kmになっている辺り。
遠目に見ていた新東名が近づいてきまして、その真下辺りに来た頃に牛渡橋が見えます
あれが県道443号の曲がり角でして、県道69号と別れる代わりに県道439号が合流してきます
いやあ過去完走した県道と出会うと感慨深いものがありますなあ。
橋は県道439号の扱いでまあ数字の順位的にも上だし仕方ないかな?って感じで橋を渡っていきます
(いや439号も439号で軽自動車しか通れない区間を持つネタ県道なんだが...)


牛渡橋は南側は新東名と川を両方眺められる構図で、北側は長篠城址と遠目に見ることが出来ます
いいビュースポットなので、立ち止まる人や釣り人が居たりします。



そうして登って現れるヘキサはまた439号。もう443号は影に隠れているのみである
その後は飯田線をまたぐ踏切。20分に1度くらいしか来ないはずですが珍しく止められた気がします


ちょうど12kmくらい(峠からは8km)で標高60m、ここから少し寄り道をします。
先程の踏切から真北に鳥居強右衛門公轢死の趾というところがあるので見に行きます
以前長篠城址を見に行ったときに「対岸の平地にあります」の看板でズコーってなったんですよね
せっかくの機会なので見に行こう、というわけです。


お散歩と言うには少し遠いような距離感(400m弱)で碑に到着。
兵力差30倍(武田家15000対500)の中で包囲網をくぐり抜け岡崎城まで往復120km以上を走りきり(山越え含む)
帰りで捕まって磔にされて「援軍は来ないと言え」と強要されても「援軍は来るから頑張れ」と叫んだとか。
それで殺されてしまうのですが、そういった伝説は強く残るものです
ってこの石碑に彫られているのは徳川家達?調べたら明治の人である
本当の場所は別だったんだろうなと思ったらもう少し東でした。丁度飯田線の真裏あたりです


いやあ、いい勉強になった。
鳥居強右衛門のチート体力と見事な欺き方とそこに自分の命を護る観点が一切入っていない潔さ、お見事でした
+760mほど加算しまして、あとは道沿いに走っていきます。
そしてどうも前回鳥居駅経由で県道439号として走ったのは旧ルートだそうで、
現県道439号は県道443号と同じく、ずっとこの新しい道沿いに走るらしい。



新昌寺を通り過ぎました
鳥居強右衛門のお墓があるそうで旗が様々に色づいていましたが、記憶にとどめておくことにします
この先の突き当りを北に向かうんですが、どうもこれ南北も県道439号に指定されており、
今までの西行きも県道439号・県道443号として走ってきていますのでつまりは全方向が県道439号です。
標識のミス説が濃厚らしい...というか県道443号の標識はないのな?県道392号と違って慈悲もなにもないのな?


ラストのストレート。北に新東名をくぐったらR151まで降ります
ちなみに2枚目の反対車線側に逆向きヘキサの2本目がありましたが見落としていました。
つまり県道443号のヘキサは上下線ともに2本ずつ、ダート県道にしてはまあある方ですね
そして14km(浅間峠から10km)(-760m)、標高60mでR151に合流するんですが、引き続き北上します。
一般的には大国道と合流したら基本的に終点になるんですが、県道443号に関しては終点指定はもっと北にあるのです


R151から先はR257(/R420)と並走します
R257のこの区間はR420が並走しているはずなんですが、
この区間は県道443号と同じ理由でおにぎりがありません。


・終点(大海交差点)
14.63km(浅間峠から10.6km、県道69号合流から6.5km)(-760m)、標高80m辺りに登り直し。
ここが県道443号の終点です。野道がしんどかったですがお疲れ様でした
というのもこの東西の道は旧R151でして、県道443号の終点はその当時の指定が残ったままなのです。
R420も現道の丘超え道が開通する前に国道指定されたので、今こそ有海交差点が終点ですが、
多分追加指定の遅れか何かの理由で一時期の指定はココまで、以南のおにぎりはR257単独のままになっています


というわけでうろうろとですが完走しました新城市内県道ながらダート県道、県道443号でした。
南西側が田舎道ながら細道で独自のルート整備でカオスなことになっており、
北東側は昭和の終盤まで県道として整備されかけていたものの放置されていての歩きにくい道でした。
以北はひたすら細道というか単独区間が拡幅されていない感じで、存在感が薄かったですね。
総評すると、まっすぐ走ると13km程度ですので完走自体は難しくないのですが、
浅間峠をどう越えるのかをハッキリ決めておかないと紐と独自整備で翻弄される羽目になるでしょう
なりました。お気をつけくださいね。



あとはなんだかんだそんなに走っていないので勢いで家まで帰りました
久しぶりの自走での帰宅な気がする。最近は輪行サイコー!派閥です
ごはんは音羽蒲郡まで走って天理スタミナラーメンでガッツリと行きました。天スタ!
こっちでも天スタはちゃんと天スタでうまいよ!って思いながらよさげなペースで帰れました。
結局この日は105kmくらいの走行になったと思います。
いや、峠越えはいつも新しい発見をさせられて楽しいですねという感じで、おしまいなのでした