一泊2日の水窪への旅、いよいよ熊伏山登山口です。
実は天気が好転したりして余裕があれば遠木山・国盗山経由での兵越峠行きを考えていて、
時間もそれに合わせたものになっていました。
しかし本日むしろ天候は予報より悪く、雨強く標高930mほどで既に雲に入っています
仕方がないので本日は青崩峠の通過で終えることとします。
最初だけ階段であとは基本時々丸太で整備された傾斜10%くらいの、
ハイキングコースの範疇に収まる登りで構成されています。
正面に見える擁壁はいつも「これ去年より悪化していない?」って思って家で見返すと変化がないやつ。
階段を越えたら木の板に変わりますが、これが滑る滑る。
板の間に鉄板は挟んでくれているので、それと手すりに頼りながら登ります
木の板を過ぎれば後は普通の野道へ。
砂防ダムにたどり着いたら案内通りカーブしていきます。
砂防ダムにたどり着いたら案内通りカーブしていきます。
案内ないと道と間違えそうなくらい土砂が積もっているね。
もう正面も山上も霧がかっていて、秋の冷たい雨。
夏はこんな湿気った状況だとヒルが出たもんですが、恐らく気温は13度くらいなので皆無。
手すりで人一人がギリギリ、斜面から土砂がちょっと漏れている区間ですが今年は増量していました
この雨の中でちょっと困る一幕でした。
その後も細い道を登る区間。
あっこの辺りの右の坂下に砂防ダムらしき四角い穴があったんだけどまた見そびれた。
まあ去年間近で見たから良いか。
砂防ダムを眺めながら。あそこを渡るよ
この辺り原則崩れやすすぎて、役目を終えている砂防ダムばかりを見るのが異質な所だなと思います。
その後は崩れかけた橋を渡って砂防ダムへ。今年もえぐれた崩れを越えなければいけません
昔は橋がかかっていたようですが、2017時点で腐って使い物になりませんでした。
ちなみにこの看板にもありますが、奥の砂防ダムの上まで登ると青崩露頭が見られます
なんか白い地盤の区間と青い地盤の区間があるので、その境目が見えるのがミソみたいです
去年見ましたがよく分からなかったので、いつかまた寄って見られたらとは思います。
その奥には青崩神社があるので向かいましたが、こちらも土砂が多くなっていて歩きにくくなっていました
うーん年々の積み重ね。
その後には木がひん曲がっていますが、これ3年前くらいから倒木に巻き込まれて曲がりっぱなし。
もうこれこの形で完全固定されているんじゃないかな
とはいえ3年前と比べると木を潰している側の倒木が倒れたので高さが下がっています。
普通に脇をまたいで通れました
そこを過ぎれば青崩神社に到着。
調べるとある程度情報はつかめるのですが、せっかくなので今年は奥の由来について読んでみました
どうも昔は峠にあったのですが1718年の大地震でこちらに移設、
1938年のニッケル鉱山での発掘事業を始める際に鉱山護神として神社が建てられたそうです
今の社殿は1986年5月再建とのこと。大分傾いているが再建は…されそうかなあ…
ちなみに「地震で地名が誕れた」と記述があったので1938年かと思いましたが、
やはり1718年以降に峠の名前が「辰ノ戸峠」→「青崩峠」に改称されたのだと推測しています。
青崩神社を過ぎると今度は道がカオスになっています。
これは以前の正規ルートが土砂崩れで寸断されてしまっていて、仮設通路が木で誘導されている図です
この雨の中での道を登るのはまあまあ面倒でした。
これを越えれば一連の変な地帯はおしまい
上につづら折りの先を見て、下に青崩神社を見ながら先へ進みます
つづら折りの連続。合計9回くらい曲がるよ!
休憩椅子が出てくるまでひたすら曲がりました。
下を見れば細かいつづら折りの繰り返しでうねうねうねうねとしていました。
実は別れていた地理院地図のルートともこの辺りで合流、少し登れば休憩所です。
休憩所です。
峠までの標高的には大体登りきりましたが、熊伏山登山的には軽く一休みで正しい辺り
雨も本降りで林の中でも水濡れしまくるので、一休みとします。
ちなみに左(東)200m先に鉱山跡があるらしいので行きたい人は行ってみたら良いのでは。自分は行きません
ずっと担いだり転がしたりしていたセラフくんも一休み。
タイヤがゲータースキンだからこそ持ってこれる山行です
このへんから左下(北東)を見るとニッケル鉱山の立て看板を見られるかもです。
その後は再び手すりと階段地帯。
手すりは地盤の脆さにつられてふにゃふにゃです
標高は1050mを越えたあたりですがいよいよ視界が白んできました。
これで初見の山を登れって言われても絶対NO!な状況ですね。
階段区間は結構最初の方から木の委託感になっていますが、今回は傾斜が少なく滑りにくい
とはいえ崩れかけの区間がちょいちょいありましたが。
この区間を越えるといよいよ峠が見えてきます
最後の2曲がりくらい。上は一気に視界通らくなるなホント
右(西)側の大崩れも様子が分かりづらい状態でした。
最後の一登り。
上に看板がたくさんあって、ゴール感がとても強いなと毎度感じます
まあ浜松側がこの有様ではね…
ココ一帯にある色々、長野側。
よく読めない碑と観音様が2体居られました。
中間。
詩が歌われていたり、木の柱がありました。
詩は訳をきちんと書いてくれているので大変ありがたかったです
最後に青崩峠の説明看板を。
最後の方に製糸工女として他郷で働くために越した~とありますが、水窪以北の集落から飯田の工場まで向かったそうで、
そうなると青崩峠だけではなく恐らく小川路峠も越えたと見られ、相当な苦労だったと思われます。
さて一通り見るものを見たら峠を降ります。
本日雨天につきできることなく。
その後は再び手すりと階段地帯。
手すりは地盤の脆さにつられてふにゃふにゃです
標高は1050mを越えたあたりですがいよいよ視界が白んできました。
これで初見の山を登れって言われても絶対NO!な状況ですね。
階段区間は結構最初の方から木の委託感になっていますが、今回は傾斜が少なく滑りにくい
とはいえ崩れかけの区間がちょいちょいありましたが。
この区間を越えるといよいよ峠が見えてきます
最後の2曲がりくらい。上は一気に視界通らくなるなホント
右(西)側の大崩れも様子が分かりづらい状態でした。
最後の一登り。
上に看板がたくさんあって、ゴール感がとても強いなと毎度感じます
まあ浜松側がこの有様ではね…
よく読めない碑と観音様が2体居られました。
中間。
詩が歌われていたり、木の柱がありました。
詩は訳をきちんと書いてくれているので大変ありがたかったです
最後に青崩峠の説明看板を。
最後の方に製糸工女として他郷で働くために越した~とありますが、水窪以北の集落から飯田の工場まで向かったそうで、
そうなると青崩峠だけではなく恐らく小川路峠も越えたと見られ、相当な苦労だったと思われます。
さて一通り見るものを見たら峠を降ります。
本日雨天につきできることなく。
サクサク降りて登り階段との分岐に着きました。
登った先が林道青崩線の終点で、そこから階段で登るのが遠木山・国盗山方面です
行きたかったなあ。
まあ天気に文句を言っても仕方がないので、右(北)へ降りていきます
ここから先は石畳の古い街道となります。
さすが縄文の道、秋葉街道。昔は違う名だったらしいが
すぐ通るのが建次屋敷跡、しかしいつ見ても救いのない話である。
お茶屋に強盗が入って散々悪さをされて逃げられました。オチは!?ってなる
見る分には良いが、歩くとちょっと降りにくい
湿っているとなおさら。
しかし2019あたりの川状態よりはマシ。
黙々と下って終盤辺り、武田信玄の腰掛岩がありました。
青崩峠を越えて三方ヶ原の戦いに降りたという逸話が有名ですが、兵越峠も名の通り兵の通った峠
なので両方使ったんだと思っていますが、信玄公は悪路のこっちに来たのかというのが正直な感想です。
まあこれ現代視点で、1718年の地震前は状況が違う可能性大なんですが。
木の橋を渡って石畳を真っ直ぐ降りるともうすぐです
静岡県側の登山口に降りてきました。雨は余計に強くなっている
あからさまに長野側よりしっかりと整備された上に案内もされています
何かとネタにされている青崩峠ですが、浜松から来る分には簡単ですよ。
そして青崩林道の上り方面ですが、通行止めの小バリケードが増えていました
この奥はダートになっているので、その一部がまた崩れたのか。
またっていうのは2018~2019あたりで一度崩れているからです
まあ今回はもう一刻も早く水窪に行きたい気持ちしか無いため、降りるのみです。
整備はされていますがここもやはり青崩の一帯、ちょっと脇を見ればなにかしら崩れ落ちています
さっくり降りていくと木地屋の墓があったので、このあたりは撮っておきます
この隣にあるのが辰ノ戸橋、かつて辰ノ戸峠だのたつんど峠だの呼ばれていたのと共通の名前です
最近また崩れたのか、下流の様子はまた青崩の方がふさわしい崩れっぷりを見せていましたが。
ここから下は平が有るかと思えば-17%~-20%がやってくる超激坂、
普通に座っていると重心が前すぎて倒れるかと思えるので腰を後ろめいいっぱいに引いて降ります
7月に来た時に足神神社から南、つまりこのあたりが通行止めになっていましたが、
その原因は恐らく2枚目の辺りだと思います。明らかに土砂が被った跡があったし。
丁度辰ノ戸橋と足神神社の中間辺りでしたね
そうして超激坂をなんとか降りてくると悉平太郎の墓へ到着。
神を殺せるスーパーわんこです。怪神とのバトル風景は一度読んでみたい、普通に面白そう
ただしお墓はココの他にもいくつかあるそうで、本当にココに悉平太郎が眠っているのかはわかりません。
そのすぐ下にあるのが足神神社。
なんだかんだマイナーな有名さがあり、参拝客と会う率が高いのはちょっと嬉しいところです
下流には足神様のお水があるのでいつも通りいただいていきました。
足神神社から下は東海地方屈指の超激坂区間。登れるやつが足神なんだよ!
登りの長さもさることながら、15~17%の傾斜が普通でMAX22%なのがひどすぎる
そりゃあココを基準にしたらセラフくんみたいな暗峠も登れるアホ自転車が出来ますとも。
そんなイン側が24%になってるんじゃないかという地帯で一旦降ります。
坂が怖くなったんじゃないです。いやブレーキしっぱなしでシューから異音出そうだけど
雨だとしてもかねてから訪れたい所がこの奥にあるわけです。
この奥のはしごを降りて川をかすめます
川からすぐ登るとさば地蔵…やまめ地蔵さん!?
お地蔵さんは4体ほど祀られていました。
で、いざ読んでみるとさば地蔵とやまめ地蔵の2つの物語があって、
恐らく療法とも祀られているのではないかと思います。
以前調べた時にまとめた「釣った魚をすぐ捨てたら悪いことが起きまくった」はこのミックスで、
ヤマメ地蔵が釣られた不幸「川の主の夫婦ヤマメの一尾が釣られてしまい、その後色んな悪いことが起きた」
さば地蔵が釣った不幸「魚を釣ったら(恐らく鯖?の化けた)友に恨み言を言われ、魚を食べたら即死した」
ので、方やヤマメの供養でお地蔵を作り、方や釣り人供養のためさばを抱えたお地蔵を造ったのではないかと思います。
まあさば地蔵が諸説あったりするので違うかもしれませんが。
さて、この激坂を下るためにまた戻りますか。
坂を下るとさば地蔵が単体で居られました。
本当の所はどうなんでしょうね
この後も旧三遠南信道・現R152へ格下げされた草木トンネル付近を交差するまでは超激坂です
雲がやっと晴れてきましたが、普通に雨でしんどい。
草木トンネルをくぐったら土砂積りの現場…あれ、除去されている
足神神社への行き来くらいしか影響がないと思うんですが、お仕事が速くて何よりです。
草木トンネルまで来れば坂はあっても短い-13%程度で概ね平和になります
あとはR152が下りで追いついてきて、合流です。
ここまでずっと林の中でしたがいよいよ雨を遮るものはない、ずぶ濡れ覚悟で延々ダウンヒルです
はい、ずぶ濡れになりました。ウィンドブレーカーで何ができるのかと
と思いましたがずぶ濡れを大体ウィンドブレーカーと上着が吸ってくれたので、
下のナイロン着でなんとか電車で座っていいくらいの体裁を保つことは出来ました。
まあズボンと靴がずぶ濡れだったので2時間位ずっと立っていましたが…
4枚目は飯田線の中で中部天竜と並んで数少ない外観で頑張っている駅、東栄駅です
ちなみに窮状を話したら女房が豊橋まで車をよこしてくれました。
着替えまで持ってきてくれてありがたい、情がしみるぜ
あと豊橋駅を出ると自転車組立スペースなんてものが出来ていました。
たしかにスペースは広くて組み立てるのに苦労橋なさそうでしたが、スタンドは整備用かな…。
あとは肉たっぷりラーメンを食べて、2日間の旅はおしまい!でした
最後こそ雨だったけど、このルートはやはり純粋に楽しいですね。
良くないことなんだけど毎年来る度違う景色を見せてくれる峠です。
今年もなかなかに変化がありましたが、来年はどう変わっているんだろうねえ…
帰ったセラフくんの惨状。乗り手も酷いが洗ってから久々に自転車がこの汚れっぷりはまずい
というわけで即日洗って、締めとしたのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿