2023年4月18日火曜日

県道368号灰野峠周辺観光 ①灰野旧街道探訪ルート

今日は前回走った愛知県道368号線の補完みたいな感じでやってきました
まずやってきましたのは御油神社。R1方面を見渡せる高さにある神社です
車で来ましたが、午後6時には駐車場が閉じるとのことで一応下に停めました
大鳥居から車道を登って到着。


立派な木だ!
御油神社、元の名前は踊山神社でしたが明治31年頃に改称したそうで。
御祭神はイザナミノミコト...これもイザナミなのか!
ちなみに賽銭箱はこの時は置いておらず、隙間から投入する形。木の階段が土足厳禁でした


なんだか脇から入ってしまった感じなので、帰りは階段の参道を降りていきます
参道を斜めに切った溝が横切っていたのを頭に入れておきます。



そうしてまた車の入り口へ。
今回の目的はこの左奥にある古い道です


というのもこの大鳥居の周辺は4叉路になっていまして、
今神社の人が標識を退けましたが、この参道を横切る古い街道筋が一本存在しています
今回はここから、前回ショートカットしてしまった県道368号東側のUターンへ取り付こうという予定です。
その後は灰野集落の再訪です


・灰野坂~旧灰野集落



かつて東海道から蒲郡方面を行き来する軽車道だったみたいです。
実際傾斜は少なく峠らしきものはなし、荷車1台分くらいの幅が確保されていました
短い道なんですが御油神社を横切る中での旧街道の廃屋があるという、
かなりシュールなことになっていたのが印象的でした。

最初は舗装されています。車道ではある
基本的にはゆるい上りですが、曲がって早々に廃屋を見つけます
いきなりレベルたけーなこの道。


・廃屋&参道

というのもこの地点、廃屋と御油神社への参道の階段が横切っている地点がすぐそばです
どうなってるんだ?どっちが先に出来たんだこれは...
年代的には建物の方が後っぽく、関係者の宿舎として建てられた線もワンチャン
ただし、表札類はすべて剥がされ窓はボロボロでしたので廃屋と判断するには十分でした。


参道と廃屋が隣り合わせの奇妙な地点をまたぐと普通に野道になります
県道368号の金野~御油、ちょっと油断すると竹林になる。
右側に獣害防止柵がずらーっと並行しており、
県道368号で何度もくぐったあのエリアがずーっと続いているのを実感します


・獣害防止柵

大鳥居から450mほど、獣害防止柵にぶつかりました。
ちょうど地理院地図の実践が消える地点です
「入山時の出入り口扉」ときちんと看板がついており、上の方で紐が一本結ばれています
もう前回何度も開けたので慣れた手つきで開けますが、結び直すのはきちんとしようね。
ちなみに農作物の保護が目的だそうですが、この辺りだと筍くらいしかないかな。


柵を超えまして、景色は大して変わりません
しかし当たり前のように廃墟と柵のある街道はちょっと変なんだよ。
ですが道筋自体はしっかりとしており、迷うことはありません
倒木こそあるけど歩く分には大丈夫。


再び竹林に突入。
竹林特有、足元は柔らかく歩きやすい
ハイキングには良いのですが手入れが大変だあ。使われない道はすぐに竹で埋もれます


ゲートから100mほど歩いた辺り、竹こそ多いものの広い空間に出ました
キレイに家一軒分の平らな空間なので、昔はここに人が住んでいたかもしれません。


その後は竹林を抜け雑木林に戻り、
小さな荷車くらいなら通れる幅と傾斜でゆるゆるとダートを登っていきます
倒木はあるけどね。
3枚め辺りで上りと下りが切り替わりますが、峠という程でもありませんでした



・県道368号合流

そうしてやってきたのが県道368号の東側、
下り行程のちょうど半分くらいに位置するUターンです。
大鳥居からは750mほど、左ヘアピンのアウト側に取り付いた形。地図はちょっと進みすぎちゃった
県道は路肩が盛大にえぐれていますがまだ道筋は残っており、合流も問題なく出来ました


そして道路?脇にある黄色い看板は馬頭観音さまの解説でした!
「この灰野坂は、江戸時代には灰野村と御油宿との往来が、はげしい道であった。」
とあり、前回訪れた一帯の灰野村がかなり人通りが多かった場所であることを示しています
運ぶ荷は醤油や味噌とのこと、山の中では塩分大事よね
ちなみに馬頭観音ですが、残念ながら倒壊してしまっていました。なむなむ


なおこの街道の行き来は馬が運搬の主役であったため、馬頭観音が祀られているという流れのようです。
というわけで線形的にはこちら側は今回通った道で馬車を走らせていた説に一票、
ただ金野側は県道368号のルートで行き来していたのかもしれません。
馬頭観音の位置的にはそうなります。

さて、あとは前回歩いた県道368号の逆走なので特に問題ありません
問題があるとすればこんなシングルトラックのダートを県道と呼ばなくてはいけない点くらいです


灰野峠付近。
右の倒木だらけの部分、よく見ると窪みになっていて昔作られた道なのかと想像します
かなり後半が急なので、馬車用に現在のルートが作られたんですかね。


・灰野峠

旧街道の分岐からは450m弱で灰野峠に到着。
前回大字金野しか読んでいなかった境界票らしきものですが、反対側は御油町の表記
そして裏面は呂...いや、これは宮だな?これで4面読むことが出来て満足です。


この先は再び灰野集落跡へ向かいます。前回見そびれた建物を見に行きたい
その分岐点の看板ですが、消えたと思っていた方がなにかあるのでをよく見てみました。
金野方面が書かれているのを確認できました。金野への案内が2つ...


灰野集落方面。道は相変わらず細いが整っている
はげしく往来のあった道、といえば恐らくこっちなのでしょう。368号はバイパスか?
まあこっち、現在は倒木が2箇所めんどいのがありますが


2本目の倒木を越えて灰野集落跡に入りました。
前回廃車を見た住居跡の、テレビ2台あったよという資料写真を撮影。
江戸時代から蒲郡~豊川はここを通るのが最短だったようですが、
1959年の愛知県道373号線(金野豊川線)の開通に伴い人口の流出が始まり、
1970年には集落の人口が0になったそうです。
というわけで廃車の1971年式ライフワゴンは、集落最後のギリギリというわけですな。


その奥にもいろんな道具の跡。
あと奥(北)にも家の建ちそうなスペースがあり、数件スペースを見つけたので入ってみました
里道はあって集落となっていた感じはあり、石垣も組まれて平らに均されてはいましたが、
特に建物らしい跡は見つかりませんでした。2枚めの右奥にもスペース広めのがあり。


そうやって結構大規模に集落があったのだろうと思いながら歩くと今日2回めの獣害防止柵。
この一帯を歩くと否応にも開け閉めの作業がつきまとってきますね
その奥はあまりスペースなさそうな空間と前回言いましたが、遺物は瓦の堆積物でした。
おそらく家があったのだろうと思います


そうして少し歩くと高い石垣の灰野集落跡のメインにやってきました
前回はここを真っすぐ歩いて家ないなーからのヤブニッケイやんけ!の流れで面白かったのですが、
今回はちゃんと当たりをつけましたので、この交差点を右(北)に登ります



右に登り始めると早速柵が見えて不安になりますがとりあえず歩いてみます
脇には物置がありました。タンクかな?割りかしきれいにされています


柵は突き当たってからなんとか一人分が歩ける筋がありました。
でも棘の生えた植物が一本あった。いてえし今も痕になってる
蒲郡一帯なんだなあって思うみかんっぽい木を見ながら野を分けていると、建物が見えてきました


・灰野集落跡 廃屋

本当に建物がありました。
何軒かあって日も差しているし、Googlemapで見ていたのは間違いなくこれです
柵が人を入れるように作られていないので入れませんが、見られる限り見ていきます


最初に一番左(西)の建物。
家というよりは畑の道具入れか事務所かといった雰囲気です。
隣にはビニールハウスがあり、この激しいヤブも一部は畑だったんじゃないかと思います


そしてその隣(南東)に位置する建物...正面から撮るの難しいな


持っててよかったGooglePixel7Pro、超広角0.5倍ズーム。
ここは明確に住居の感じがあります。車も一台停めていたのでしょう
今まで廃屋といえば木造ばかりだったので、
こういう若干近代的な廃屋ばかりの集落は自分にとっては新鮮な気持ちです。


最後、一番奥(東)にあった小さな建物。
トイレか倉庫かといった風でしたが、さすがにヤブが濃すぎて近づけず。


ちなみにここの柵に関してはガッツリ固められていました。
普通の人が出入りする用の場所は一見ありませんでした
恐らく前回入りかけた、石垣間の集落跡から侵入するものと思われますが、
流石にそこまでやるのはどうかと思ったのでここで満足!とすることにしました。


というわけで戻ってでかい石垣の東端。
実は地図上ではここは十字路になっており、実際人がひとり通れる下り筋がありました
おそらく前回の行き止まりに通じるものだと思われます。
今回はお寺に行きたいのでまっすぐ(西)進みます


続いて、石垣間から伸びていた地元の人が手入れのために日常的に使っていたであろう道。
しかしこれは地理院地図の道ではない模様、2本の丁度間とは。


・灰野のヤブニッケイ

そして奥にあるのが灰野のヤブニッケイです。googlemapの位置は嘘なので注意
前回も話しましたがヤブニッケイにしてはとても高く育っている木とのこと
前来た時はこの1本で満足していましたが、
なんと灰野のヤブニッケイは「3本」市の天然記念物に指定されているそうです
どこにあるかは情報がありませんでしたが、一旦この周辺を探してみます


少し奥(西)に歩くと残り2本を見つけました。
1枚目は東から、2枚めは西から。
別の木と主張するには、葉の形と独特な樹皮がうまいこと一致しています
多分これで3本すべてを撮り切ることが出来たと思います。でももっと高い木があったらそれだよ。


ヤブニッケイを見た所でお寺への道をゆっくり下ります。
灰野峠から一瞬登っただけで残りはずっと降りています
すぐに分岐を見つけました、これもまたよく人が通っているようです
そしてこれが西側のアクセス路のようです。


ずっと石垣が続いていて、ここが明確に集落であったと判断するには十分すぎます。
かつての人通りが激しかったと吹いていた灰野集落、思ったよりも大規模で本当のようです
というか舗道が復活しているんだよなあ。隣の県道はこの辺りずっと野道なのに
そして続いての分岐、街道跡は左で右は林道の看板が落ちていました。
小根沢線と書いてありまして、お寺の一本東を登る道らしいです


後ろを向いて、復活した舗道と石垣の図。


ああ、いい集落跡っすねえ。
残置物の瓦が、ここには家が建っていた事を毎度知らせてくれます


そうして西に歩いていると落ち葉のない車道に合流。
このあたりで雰囲気的には灰野集落跡を抜けた感じです


そして既に見えていますが、ここから入るのが円蔵寺...あれ、八柱神社?
地図を見る限りでは道としてはつながっていないように見えますが。
ひとまず入ってみます
地味に大きなキンモクセイ(だと思う)に太めのしめ縄に旗ポールが2本、立派な雰囲気です。


・役行者

参道を登ると小さな鳥居がありました。
右奥の穴は仏様が居り、役行者と呼ばれていました
こちらもまた雰囲気があって好きです


鳥居の奥から右折して登ります。
ちゃんと手すりを設けてくれていて、廃村のすぐそこなのに観光地感があります


・円蔵寺(跡)

そうして円蔵寺に到着。
しかしあの見える建物はお寺ではないとのこと
こんなところに瓦が積まさってるのはなんでだろな?


本堂はこちらだそうです。ああ潰れている...
でも廃墟の建物が潰れているのは悲しきかな、割と見ていますので慣れたものですが


ちなみにただの草むらではなく、手前には瓦はあり奥に柱の跡はありました。
潰れた本堂の上に只今植物が絶賛侵食中というわけです
それでも隣の寺務所かな?の建物は立派だったし、思いのほか良く手入れされていました。
来て損はありませんでした


というわけで円蔵寺、思った通りの廃寺ではあったので戻ろうかと思ったのですが、
なぜかお寺の裏に整った道があります。地図にはない西方面です
ダートながらしっかり石が脇に組まれている。こりゃただの裏道ではないぞ?


道の脇には畑の跡がありました。
これはお寺夏神社の人が趣味でやっていたのかもしれませんが

そしてやはり、しっかりした石階段が見えてきました。
灯籠もしっかり文字が彫ってあり、手が込んでいます。参道でほぼ確定でしょう
入り口の八柱神社の大鳥居はこういうことか!円蔵寺を経由するっていう
じゃあ今の地図はなんで描いていないのだろう。


・八柱神社

1658年に建てられ、御祭神はお名前通りの八柱(正哉吾勝勝速日忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心媛命、湍津姫命、市杵島姫命)
灯籠も建物も、特に紋周りが渋くて良い。江戸初期の様式だそうです
かつては神社に額があったとか、それはなんと2.26事件に倒れた高橋是清の書だとか。



左(西)側には合祀されておりましたが全部確認できず。
右(東)側は社務所になっていました。こちらも立派な建物です


なお、御油神社同様木の板部分は土足厳禁です。
この一帯もしかしてみんなこうなのかな?土足厳禁自体は珍しくはないが
お賽銭箱はあったので入れまして、お祈りを済ませておきます。


帰り道(続けて西)は明確に車道です。ダブルトラックと境内に転回跡もあった
でも出口付近でチェーンゲートがあったので、基本は関係者の通行のみのようでした。



私有地なのでタケノコ採りをするな、まあ当たり前のお話。
うちも子供の頃はよくタケノコ採りをしていましたが、
山持ちのおじさんの手伝いという大義名分を持ってやっていました
山菜採りは実はかなりダークな趣味です。大っぴらにやるには敵がとにかく多い。


そしてチェーンゲートからすぐに街道に戻ってきました。
いやあきれいな舗道だなあ狭いけどもう文句なんて出ねえ
大分西に来ましたが、ここからは県道368号の馬頭観音(西側)方面に南下します


こちらの道は狭いながら整っています
落ち葉が堆積している区間もありますがしっかり車道
灰野集落一帯の道といえばやはり、県道ではなくこちらなんでしょう


・楽おり

イノシシ用の罠がありました。
名前がついているのを見るのは初めてで、つい近くで撮りたくなりました
楽おりという名で、恐らく豊川市かなにかの事業の一環で設置されたと。
結構古そうに見えますが令和元年製(2019)とのことで、これはあえてやっている塗装なんだね。


引き続き人が居たか畑だったかの跡がここでもちらほら。そんな道を歩いていきます
ピーク時には灰野集落、30軒ほどの住宅が建っていたそうです。


竹に完全に包囲された廃屋もありました。雰囲気的には別荘かな。

そして八柱神社の入り口に戻ってきました。神社一周
今日はもと来た道ではなく、一旦南に下ります
ガードレールとかそこの県道にもない設備がある...



そうして前回県道から外れて行き止まった地点にやってきました。
ここは後に調べたら旧県道ルートだったそうで、今はどうなっているか気になっていたのです
というわけで次回はこの先のルートの探索に向かいます

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